移動せよ。
From:寺本隆裕
大阪のスタバより、、、
昨日、電車の中での話。
僕は「弱冷房車」を避けて、
比較的すいている車両を選んで乗ったのですが、
それでも車内は帰宅するビジネスマンで少し混んでいました。
そしてその中に、
一人の腹の立つおっさんがいました。
そのおっさん。
電車の中であるにも関わらず、
ニンテンドーDS(だと思う)を、
大きい音を出しながらピコピコとやっているのです。
おっさんは若干太り気味の
40代後半くらいのサラリーマン風です。
会社帰りだと思うのですが、
白い半袖シャツに黒いスラックス。眼鏡。
そしてその半袖シャツの裾の一部は、
スラックスからはみ出しているようなタイプの人です。
(音、消せよ!!)
まわりの人もチラチラとそのおっさんを見ています。
僕も、せっかく読みたい本があったのに、
それを勉強するための貴重な時間を邪魔されて
ムカムカしていました。
(注意しようか・・・)
恐らく多くの人が思っているように、
僕の頭にもこんな考えが浮かびます。
(でも、こういう人って、
迷惑かけてるのわかっててやってる場合があるからな・・・)
結構そういう人の中には、開き直ってる人もいるんですよね。
注意しても無視したり効果がなかったりするばかりか、
最悪言い返して来るような場合もあるわけです。
そうなったら車内の空気はますます気まずくなる。
そしてなぜか自分が恥をかくことにもなる。
うーん。どうしたものか。
(誰か注意せーへんかな)
(ゲーム機の電池。なくなったらいいのに。)
(何がそんなにオモロいねん?ん?
ワンピースのゲーム???いい歳してそんなんやってんの・・・?
ダンケネディを読め!ダンケネディを!!)
(自分が2mくらいの長身でムキムキなら躊躇なく注意できるのに!)
ということを考えていると、
やっと電車は次の駅に到着。
車内にいる多くの人は、
ちらちらとおっさんの方を見ながら、
(降りろ!降りろ!)
と念力を送りますが、おっさんはゲームに夢中で降りる気配なし。
(降りろや!ボケ!)
迷惑そうにしかめっ面をしています。
そこで僕はどうしたか?
もちろん、おっさんが降りなかった事はとても残念でした。
でも、、、
僕にはおっさんが降りなかった場合の「秘策」があったのです。
それは何か?
それは、、、
『その駅で、自分が別の車両に移動する事。』
です。
駅に着いてもおっさんが降りる気配を見せなかったのを見て、
僕は外に出て隣の車両へと移動しました。
移動した先の車両には、そんな非常識な人はおらず、
静かで快適な環境でした。
そしてそこから自分が降りる駅まで、
静かに本を読む事ができたのです。
ビジネスをしていると、
・外部の環境
・自分以外の人
・何か自分が直接的に関与できないこと
のせいで、自分に不都合が起きる場合があります。
この迷惑なゲームおじさんのように、
『せっかく勉強しようと思っていた場所がうるさかった。』
みたいに、期待していたことが外部要因でダメになってしまう。
なんてことにも、たびたび遭遇するでしょう。
そしてそういう状況になったとき、
それに対して直接的な抵抗を示す人がたくさんいます。
それが、なくなってくれることを祈る人がたくさんいます。
例えば「不況だ」と言って、
政策がうまくいって景気が回復することを祈ったり。
例えば「商品が売れないのは競合のせいだ」といって、
その競合がつぶれるのを期待したり。
例えば「自分は不利だ!」と叫んで、
「有利」な人をうらやんだり。
でも、最も確実で早く、
ストレス少なく状況を打破する方法。それは、、、
自分自身の行動を変える事。
自分自身が別の環境に移動する事。
自分自身で新しいルールを作る事。
なのです。
僕は、
おっちゃんに注意をして真っ向から戦う。
あるいはおっちゃんがゲームをやめるか車両を降りるのを祈る。
という代わりに、
『自分が車両を変わる。』
という、ちょっとした行動を取りました。
ピコピコとうるさい車両の中にとどまった人は、
僕の事をずるい、と思うかもしれません。
でも、、、
車両を変わるという選択肢は、
そのうるさい車両の中にいる全ての人が持っているもの。
誰にも平等に与えられているチャンスなのです。
絶対的な悪者(=ゲームのおっさん)のために、
自分が動かないといけないことがシャクに触るきもちはよくわかります。
感情的に納得できないのは当然だと思います。
でも、、、
他人や環境はコントロールできません。
コントロールできるのは、自分自身の行動だけ。
だったら、、、
ちょっとした労力をかけて、
別の車両に移ればいい。
その方が、幸せ。
だと思いません?
機会は、全員に平等にあるのですから。
PS
コピー&マーケティングを身に付ければ、
あなたには、これまでとは全く違った「選択肢」が見えるようになります。
あなたは、それを「知っている側」に行きたい?
それとも「知らない側」にとどまる?
http://www.theresponsecopy.jp/copywriting_program/course/index2.php
PPS
最悪な事に、、、
ここ5日くらいのブログの「コメント機能」がoffになっていました!!!(泣)
がーん。。。どおりで。。。
もし気づいた事があれば、ぜひぜひ、過去の記事にもコメントをお願いします。。。
ものすごく共感しました。
そういえば・・私もよくやっています。
車両の移動・・
不快な環境から脱して、快適な環境に移る・・
合理的な選択だと思います。
ただ。。。コヴィー博士だったら どうするかな?
武士道は、死ぬことと見つけたり。
私は、マーシャルアーツをやっていたので、
公衆迷惑をかける人間には、
一言いうことができました。
車内での携帯電話トラブルで、ストリートファイト!、
とまではなりませんでしたが、数回、
「もー、こいつ、いたい目にあわせてやろうか。」
と思ったことがありました。
でも、たいがいは、沈静化しました。なぜか。
周りの目です。
場合によっては、味方に成ってくれる人もいました。
不正をしている人間は、よほどの馬鹿でない限りは、
自分が不正をしていることを多少なりとも、
分かっているようです。
で、誰も、何も言わなければ、次からは、
「これくらいの不正をしてもいいんだな」
と増長するのではないかと思います。
実際、ニューヨークの犯罪が、激減したのは、
落書きを消したことだそうですね。
「小さな犯罪も見逃さないぞ」
という市民の心意気、市民の目が、
犯罪を減らしたのでは、という分析ですね。
しかし、格闘技をやっていない人に、
勇気を出せというのも、酷なことだと思いますので、
注意したりするは、格闘家に任せて、
格闘家でない人は、応援者、味方になってあげて、
「そうだ!、そうだ!」でもいいのでは、
というか、これは、大変な後押しに成ると思います。
そして、もしファイトがあって、警察ざたに成ったら、
市民の義務と責任で、目撃者になってあげればいいと思います。
実際、不正を正す行動ができる主な人は、格闘家かもしれません。
少林寺拳法の開祖、宗道臣も、不正を正す勇気と力について、
説いています。
極真空手の創始者、大山倍達総裁は、
「正義なき力は、暴力。力なき正義は、無力」
と言っています。
だから、
「格闘家は行動せよ。非力な民は、
市民としての義務と責任を果たせ。」
と言うことでどうでしょう。
オチがなくて、すみません。
●わかる! よーく有ります。私も、車両を移りたいけど、混んでる時には、隣りの車両に乗り遅れそうで、どうしよう、どうしよう、と考えてるうちにドアがしまる。
●すいてる電車で、隣りに座った人が、香水プンプン(私は、香水の香りが嫌い!)で、吐き気がしてくる。他の席に移ると、「私が、何か・・・」と気分を害すかな~ と悩む。
香水って、好みがあるからホドホドに!
●疲れて座っていると、まん前に「譲らないの~?」て感じで立っているおばさん。「この人、私より若いんじゃないかなぁ」絶対に立ちたくない、だって疲れてるんだもん。若く見える自分が恨めしい。
初めてコメント投稿します。
結論から申し上げると、ガッカリです!
義侠心を振りかざして正論をぶつつもりはありませんが、
あなたのとった行動は “観殺しの正当化” に過ぎません。
(恐らくは、その場に居合わせれば、私も同様だったでしょう。)
自分自身でも疾しさを感じており、他者の共感を得ることで
「自分の選択は合理的だった」と結論付けたかったのでしょう。
それでも、一流のコピーライターなればこそ、あなたは
あなた自身の影響力を軽視すべきではない。
“観殺しの正当化” を大ぴらに喧伝すべきではない!
私はそう思います。 (題材選択の課題です)
落ちがない話で
おもしろくありません
似ような経験があります。
私の場合は、ゲームのオッサンではなく、臭いのきついオジサンでしたが。
(営業の方が汗臭くなったみたいなのではなく、明らかにお風呂に入っていない感じ)
1駅我慢しましたが、このオジサンは、動く気配がまったくありません。
完全に眠りこけたままで、瞼すら、動かしませんでした。
このオジサンは、無くならない存在だと悟った私は、私はスグに隣の車両に移動しました。
不思議なのは、我慢している人が多いこと。
車両は人が比較的少なく、移動することは容易です。
それでも、なぜ我慢するのか…。
それがなくなってくれることを祈っているというのもありますが、
このオジサンは、そうそう無くなってくれそうにない存在です。
となれば、私にはそれが、「移動先では座れないかもしれない」「移動が面倒くさい」
「目立ちたくない」というような、
小さなリスク回避しようとしている人もいるのでは?と思えました。
私は今、ネットビジネスを始めています。
今までの自分ではやったことがない、色々なことにチャレンジしてきました。
しかし、その結果、容易に想像できる先のリスクを気にして、立ち往生している状態です。
動けば儲かると分かっています。でも動けない、動きが遅い。
まるで、小さなリスク回避のため、電車で動かなかった人たちのようです。
12週間コピーライティングプログラムで、
本当は必要とないと分かっているのに、無償に欲しくなる時計の話がありました。
時計は、それなりの値段がするでしょう。欲しくなる時計となれば、なおのこと。
その欲しい時計のため、お金を払うというリスクがあるのに、人はどんどん行動するのです。
…不思議です。
「必要のない時計のために、リスクがあっても行動すること。」
「必要でかつ欲しいものであるのに、リスク回避のために行動できないこと。」
この二つは、人間の行動心理によるものなのでしょうか。
ウォンツの種類による違い?
プレッシャーの違い?
リスクの幅・範囲による違い?
すぐに手に入らないから?
セルフイメージ?
などなど、なぜ、行動しないという行動をとるのか、自分自身が理解できません。
寺本さん、何かの機会に、このことを解説していただけませんか?
きっと、私と同じように、行動したいのになぜか出来なくなってしまう、
そのことに悩んでいる人はたくさんいるはずです。
いつかどうぞ、よろしくお願いいたします。
全くそのとおりです。
若いのにすごいなあ。