小川 忠洋(おがわただひろ)
おっと。きっとあなたは、こんなつまらない自己紹介は読んでて退屈だろう。だからもっと、ストレートな自己紹介をしよう。
高校のころまで、僕は栃木県という極めてマイナーな田舎に住んでいた。今の高校生と違って、家と学校の往復で楽しい遊びなんて何もない。(実際は、高校生活はめちゃめちゃ楽しかったのだが、遊ぶ場所なんかは何もなかった)高校の時だか、中学の時だか忘れたけど、ニュートンという雑誌にアインシュタインの特集が載っていた。それを見て、「おーコイツはすげーおれも物理学者になろう!」と軽く進路を決めた。(エアロスミスにはまってロックスターになろうと思ったこともあるが、高校生でもそれが不可能な事は自分で分かった)
ちなみにこの時、高校では圧倒的に最下位クラスの成績だったのが、最後にはトップクラスになった。人間、目標を持つことは大切だなーと実感した最初の出来事だった。
大学に行くと、田舎の高校生が初めて都会にでたので、いろんな経験と誘惑に駆られることになる。多くの大学生と同じように僕も大学時代は、マージャンとコンパ、(いや麻雀かな・・・)が命の生活になってしまい、物理学者になるという大いなる夢はあっさり挫折してしまった。
その後、目標のなくなった僕は、堕落した。
毎日、昼過ぎまで寝てるようなどーしょーもない大学生になってしまった。そんなとき、僕は友達からネットワークビジネスに誘われたのだった。。。
やる気のない日々を過ごしていた僕にとって、新しい目標は新鮮だった。それは「お金」つまり経済面での成功だった。住んでいたのが大阪という事もあり、「金もうけなしゃーない」的な哲学が生まれ、そこからビジネスの世界に入ることになる。
それから、ケータイメールのビジネスを始めてみたり、ソフトウェアのビジネスを始めてみたり。いろいろやったが、なかなかビジネスは成功しなかった。
ダンケネディにマーケティングを学ぶまでは。
ダンケネディにマーケティングを学んでからと言うもの、どうやったらお金を生み出すことができるのか?徐々にわかってきて、収入もだいぶ伸びてきた。そして、2006年にダイレクト出版株式会社を設立。もともとフリーのコピーライターになろうと思って、自分の技術を向上させていこうと思って、始めた会社だったが、ケネディ流のダイレクトレスポンスマーケティングは、極めて強烈で、たった2年で10億円規模の会社になった。これは結構、早いスピードなので、みんなに驚かれる。
今まで、ビジネスや自己啓発、投資など色々なジャンルでそのマーケティングを実践して、結果を出してきた。その経験の中から分かった事は、インターネットが主流となるこれからの時代、ほとんど全てのビジネスが直接、顧客を取ることができる。つまり、ダイレクトレスポンスマーケティングを必要とするようになる。
そんな中、日本の企業はマーケティング力が低い
なので、ケネディ流のマーケティングを伝える事はとても価値あることだと考えてこのザ・レスポンス・コピーを発行することにした。
寺本 隆裕(てらもとたかひろ)
大阪府で生まれるも、父親の転勤によって引越、転校を繰り返す。
初めての転校は小学校4年に上がる時の春。大阪から京都に引っ越す。
中学一年になったある夏の日のこと、そのころ好きだった女の子に突然告白される。
これからのバラ色の青春を想像して興奮していたその日の夜、最悪のタイミングで父親から「転校やで」と言われ、枕を濡らす。
次の行先は、大分県。
今まで引越と言っても関西の中の移動だったのに、一気に本州から脱出。
自動改札もなく、テレビの民放も2局しか映らない(NHK、NHK教育と合わせて全4局)田舎で高校3年生まで過ごすことになる。
大学では一人暮らしをしたかったので、両親の実家もあり、ゆかりもある大阪の大学(関西大学)に進学することを決める。
一人暮らしで自由な大学生活を楽しみにしていたのもつかの間、同時に父親の大阪転勤が決まり、家族全員で大阪に引っ越すことになった(一人暮らしの夢は先送り)。
キムタクが建築家の役をやっていたテレビドラマに影響されて入った建築学科だったが、あまりの絵のへたくそさとセンスのなさに、1年生の終わりごろ、建築家への夢をあきらめる。
その後、「授業が忙しいから」と親を何とか説得し、無理やり一人暮らしをスタートするも、マージャンにはまり、昼夜逆転、主食は卵ご飯と納豆という、最悪の生活を送るようになる。
ギリギリで卒業したあと、東京の大手IT企業(当時東証一部上場)に入社。
そこで、システム開発やプロジェクトマネジメントなどの技術を叩き込まれるが、この仕事がなかなか適性に合っていたようで、過酷ではあったが(夜11時からお客さんとミーティング、など)、とても充実した日々を送る。
「一生懸命やることを楽しむ」ことで会社からも評価され、様々な規模のプロジェクトのマネジメントを任されるようになる。
そんな中、ひょんなことから、コピーライティングやダイレクトレスポンスの魅力にとりつかれ、それまで通勤のときに読んでいた「日経コンピュータ」を、ジョー・シュガーマンや神田昌典さん、ジェイ・エイブラハムなどの本に持ち替えるようになる。
将来進む道はここだと決意し、5年間お世話になった会社を辞めて大阪に戻り、海外のマーケティング教材を日本に販売する会社を立ち上げる。
が、ビジネス成功の道は甘くなく、収入も激減し、生まれたばかりの子供と奥さんの寝顔を見ながら、どうしようもない罪悪感に潰されそうな日々を過ごすことになる。
そんな日がしばらく続いたあるとき、偶然、小川忠洋と出会い、コピーライターとしてジョイントベンチャー契約を結び、一緒にビジネスをやることになる。
その後ダイレクト出版のオフィスに何度か出入りするようになるが、会社のこれからの可能性に魅力を感じ、もっと深くかかわりたいことを伝え、入社することになった。
すぐに実力を発揮し、入社後2か月で、月商3,000万円→現在5,000万円のマーケティング部門を任されるようになる。
現在は、【ザ・レスポンス】&<<ザ・レスポンス・コピー>>に関するコピー、マーケティングの総責任者。
山田 光彦(やまだ みつひこ)
コピーライティングの世界にどっぷりはまってしまった、コピーライティング・オタク。
京都に生まれるも、小学校の卒業アルバムに「将来の夢は、サラリーマン」と書いてしまう、夢のない少年。それが原因かはわからないが、バレンタインで一度もチョコをもらったことがない夢のない少年時代を過ごす。
しかし、大学を卒業後、幸運にも司法書士の資格(法律関係の資格)を取得。2年間の修業の後、京都で事務所を開業。お客さんに感謝されながら、経営も順調な充実した毎日を送る。
一方、司法書士として開業を考えていた時に1冊の本と出会い、マーケティングとコピーライティングの世界にどっぷりハマる。きっかけになった本は「あなたの会社が90日で儲かる」(著者:神田昌典氏)。この本を読んだあとに次々に教材やセミナーを受けることに(ダイレクト出版の商品も色々と買っていました)。
マーケティングやコピーライティングを実践していく中で、その魅力のトリコになり、司法書士をやめて、コピーライターとして活動することを決意。ダイレクト出版に入社し、現在は寺本とともに【ザ・レスポンス】《ザ・レスポンス・コピー》のコピー・マーケティングを担当している。